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鄭 梃甄
Cheng, Ting-Chen's Sculpture
既存の概念では、女性は柔弱であるのだが、わたしはなぜ石彫と切っても切り離せない縁で結ばれたのだろうか。
確かに、石彫の作業は力を費やすというだけではなく、全身を鎧で武装し、戦闘に臨むのと同じ状態であるといえる。ダヴィンチはかつて、彫刻家が作業に取り組む時の身体の自然な動きをスケッチしたことがあるが、彼はそれを見てこう言ったそうだ。「彫刻家の技芸は、一種の機械的な作業であり、大量の汗が流される。これらの汗と砂礫が溶け合って泥の塊になり、大理石の粉塵が顔一面に降りかかり、彫刻家はまるでシェフのようである。砕かれた石の屑で耳まで覆われると、まるで暴風雪の中をくぐりぬけて来たようであった。」
実際、石彫の制作の面白さは体への負担を大きく超える。制作において何度も石と交わる中で、それはあたかも石が最初から形成されていく過程を遡り、石を解放する過程の中で新しい人文意義を見つけるかのように感じた。
以前イタリアで行われた国際石彫シンポジウムに参加したときのことであるが、わたしはそこで、足元に広がるカルスト台地上に大型の石灰岩の作品を彫刻した。その時わたしはにわかに、時空が交差する中で、広大な自然にくらべ人間はちっぽけな存在であるということを実感した。なぜなら作った作品はわたしにとって大きなものであったが、その大地の上では小さな存在であったからである。人類が存在できるのは、僅かな時間であり、その限りある生命の度量で広大無限な時間の過程を推し量るのは無理なことなのだ。しかしわたしは、石彫の作業を通して、過去と未来、地上に存在する生命の情感的繋がりを見つけ出した。
有史以来、先人たちは石材上に多くの生活の足跡を残してきた。例えば、オーストリア・ウェレンドルフのヴィーナス像や、イースター島のモアイ像、中国の玉琮などである。その形には、生命の息吹と神秘的な雰囲気が満ち溢れている。それらは、自然から離脱してしまった現代では、手に入れたくても入れることのできないものである。しかし、手作業による彫刻・研磨の過程においてそれらは明らかに見てとれるのであり、現在でも彫刻家が生命を表現するのにもっとも重要な部分であり、その時の作者の美的感覚や信仰が反映されるのである。
時空背景の転換に伴って、それぞれの人文的な思考が、今まで延々と伝えられてきた同じ材質には、やはり創作する本体から把握し体現していきたい。
作品の動態分析
1.舞踏様式
(1)代表的な作品:「踊り」、「窈窕」等
( 2.コンセプト
舞踏様式の彫刻とは、人の踊る姿や有機体としての踊りの動作によって生命的イメージを表すことである。形式を豊かにすることばかり考慮しすぎると、かえって煩瑣になり曖昧でぼんやりとしてしまい、効能的な力を(effective power)を失う。作品は、形式を単純にし、簡潔に表現したい。
踊る運動には、地面からの遠離と接近という方向性がある。つまり、しなやかさや軽さと、重厚さや重さの2つの表現方式である。舞踏様式を探求し始めた時、私は前者を選んだ。なぜなら、生命力の表現は、個人的な意志のあらわれであり、逆境の中にこそ顕著になるからだ。
3.作品造形分析
作品の造形要素の中で、透かし彫りを強調し、曲線形体の力動性を通じて量感を放出し、踊りの軽やかさを表す。これについては、以下で分析する:
1)虚空の創造
私は1999~2000年の彫刻作品のなかで、ダンサーの軽やかな姿を強調し、透かし彫りは手足を組んで形成した虚空の密閉空間で、量感を放出して軽やかさを表す。
2)曲線形体
曲線形体とは、多くの不完全な丸い球形体を重ね、交差して組み立てるものである。作品は、「廻」の重複性と「方向の転換」の形式を呈する;例としては「斡旋」と「踊り」などの作品を挙げる。これらは二つの円の重複から生まれ、二つの円心は同じ水平線にあるため、造形の動感を助長する。曲線形体を選んで動態感を表すことは、創作者の背景からいえば、中華民族的な内向きで遠回しの文化心理的個性があり、女性の身体イメージにも関わる。生命を孕む形象の本体として、自分自身の生命を寛容で、延々と続く存在にしていけるよう願うものである。
3)重力方向の転換
重力の方向性の変化は、量感を変化させる重要な手段となる。重量感をなくすため、「舞」という作品では、足から上へ垂直な形象にし、腕の形を橫方向に転換することによって、量感の変化を表現することに成功した。その他の作品「動揺」、「窈窕」なども同様である。
2.虚実関係―空間についての探究
(1)代表作品:「生息」
(2)コンセプト:「生息」という作品では、昔の作品とは異なり、架空の空洞を能動的、自覺的に構成する。踊りのイメージから離れ人型を始めとし、原始舞踏の表現の中に「強烈なリズム」を取り入れた。ダンサー達は踊る時、その足で大地を踏みしめ、大地に近づく雰囲気を創り出すことで人を感動させ、踊ることの本質に近づけたようであった。
( (3)制作のきっかけ:踊りをテーマとして探求し始めた時、元々はダンサーの一瞬の姿からの動態感をイメージさせる、「内模倣説」を進路とした。作品の制作過程においては、踊りの一瞬のポーズから、運動を主題とした知覚的特質を連想させるのだが、それは必ずしも動態感の共鳴を引き起こすとはかぎらない。そこで私は、造形要素の構成を中心として、踊りの力動性(Dynamic)の追求を、舞踊というテーマの意義としようとしたのだが、そのためには、必ずしも人間の体だけをテーマにするとは限っていない。
(4)作品造形分析:
1)透かし彫り:空洞は面の転折により形成された仕組みである。虚実を相互に生成発展させることで形体を豊富にするが、逆に全体の重量感を強化する。明暗の曖昧さから幾重にも渡りたくさんの層をつくりだし、これらの元素の反復表現によって、俊敏さをあらわした。
2)
凝集の仕組みを強調する:凸面だけではなく凹面も重視する。動作の意味からではない静態を強調する。造形過程においてに動感や凹面から量感を放つが、曲線形体は最終的に起点に帰ることで量感を得る。円形の外縁内で曲がる特徴は、円が融合し一つになるイメージとなる。
3)単体を組み立てる:単体の組み合わせは、重量感を変化させやすいと思う。作品「生息」は、はじめて〝群体〞の構成で空間に対する関係を探求した。作品の個体の形式は他のものとの関係から決定し、個体間は共生関係をもつ。
3.石という素材の量感への回帰
(1)代表作品:親愛なるビーナス
(2)コンセプト: 「親愛なるビーナス」は母が子を背負う姿である。おんぶには、親が子を育てるイメージがある。様々な視点から生殖と繁衍の意念を強調する。中心部は上からは女性の乳房、後ろからは臀部にみえる。そして、堆積岩の貝殼の化石を材料にすることで、生命の凝縮というイメージをあらわす。
(3)制作のきっかけ:1999年の台湾は、大地震や大きな台風等一連の自然災害による被害を受けた。環境の急速な変化は私に、人と自然の関係を改めて考えなおさせるきっかけとなった。それ故、作品も、石材の重量本質と人間に元々潜存する生存意志という欲望を表現したいと考えた。
(4)作品造形分析:全体感の強調と細部の単純化・・・一つの塊として全体感を強調し,彫刻によって重量感を出すことで石の原始的で自然な特徴を顕著にする。
4.ハンドジェスチャー
(1)代表作品 :「祈願」、「相応」、「家族」等
(2)コンセプト:
人とその他の生物がもっとも異なる点は、人は曲げたりつかんだりする動作ができるところである。関節を動かすことによって手でこぶしを作ると本来の手よりも硬いものを作り出すことができ、無限大のエネルギーを発するのである。「ハンドジェスチャー」は人が外界に対して表す期待であり、人と人とを結び付けるものである。人間の存在意義は伝承することである。生まれた時から祖先の思想と発明を受け入れ、反芻し後世の人々に伝承する過程である。人はこの土地や俗事の外に身を置くことはできない。お互いに助け合って初めて生命を伝えていくことができるのである。
私は、これらの作品を見たひとりひとりが、共通の感情を呼び起こせるようにしたい。世間一般からかけ離れ、自己満足に陥いらない作品こと芸術的価値があると考える。作品「ハンドジェスチャー」での形状の探求を通して、単独で構成された作品の独立性、両者が互いにその形を補い合う様子、そしてそれらが呼応する動き、そして集合で構成された作品が重なり合って並ぶ様子は、重量感を持ち、巨大で厳かな想像空間を表現することによってヒューマニズムを引き出す。手のサイズを無限に大きくした時、超自然に繋がる心理作用を持つ。その巨大な手と、日常生活上認知されている手の存在はかけ離れているが、日頃感情を表しやすい手への親しみから、大きな手に触れたいという意識をもつ。そのため、「ハンドジェスチャー」の形とサイズは、この点から発展させたい。造形では、重量感を強調し、石彫の特性を活かし、その超自然的特性を表現したい。
長い間、石彫の創作を通して、この学問の難しさや楽しさを認識し、造形についてのさまざまな経験から多くを心得えて、石彫の制作に拘るようになった。人為的な形式を考えるには、石自身の紋様に順応して、はじめて形を作ることが可能となる。石の豊かで細緻な模様は人が彫り、磨くことによって内面を表し、新しい意義を生みだす。
伝統から珍しい知識を得たり経験したり、自分が外界に応じて、新しい意義を見つけるだけでなく、基本的な態度を忘れず、生命への拘りと美について、作品を通してより深く表現したい。将来は大型の彫刻を数多く作り、人々の生活や記憶の一部になるよう、より人間と親しい関係をもてるように目指したい。このような思いから、作品をつくるという儀式によって、その土地の人々と感情的な交流ができるのではないかと考える。作品自身は形式の完璧さを求めるが、作品の意義においては、人(見る物)と実際に積極的に関わることができるようなものにしていきたい。
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